「この御子三つになりたまふ年、御袴着のこと一の宮のたてまつりしに劣らず、内蔵寮、納殿の物を尽くして、いみじうせさせたまふ。」
袴着(はかまぎ)の祝いとは初めて袴を着ける儀式。これは『源氏物語』「桐壺」の帖、幼少の光源氏の袴着の式の様子です。
この他、女児の7歳には着物の帯を付紐から大人と同じ縫帯にする帯解(おびとき)の祝い、男児女児とも3歳にはそれまで剃っていた髪をのばし始める髪置(かみおき)の祝いがありました。
もともと公家や武家、地方や時代によって異なっていたこうした儀式が「七五三」として一つの行事になったのは江戸時代から。全国的に広がったのは明治以降といわれます。
11月15日は、古来からの民俗的祭礼の霜月祭の日、陰陽道では陽数(奇数)が重なる吉日、日の吉凶を占う二十八宿では鬼宿日という吉日であることなどから祝い事にふさわしい日とされたのです。
「七つまでは神のうち」といわれ、現代に比べ乳幼児の死亡率が高かった時代、幼児期から少年期に移る人生の通過儀礼として、7歳くらいまでにこうした儀式を行いました。
「第二の皇子が三歳におなりになった時に袴着の式がおこなわれた。前にあった第一の皇子のその式に劣らぬような派手な準備の費用が宮廷から支出された。」(現代語訳:与謝野晶子)。
いつの時代も子の成長を祝う親の心は同じです。
儀式の様子(弓馬術礼法小笠原流)
与謝野晶子訳『源氏物語』(青空文庫)
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